マンボウまでの道のり

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仕事とは。



図だけで全てを物語る。

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2011年12月20日(火) 21:38

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2011年9月23日、秋田県鹿角市にヤマダ電機が新規オープンする。店長は長女の旦那。

28歳、長女の旦那、つまり私の義理の息子。
小林眞吾君は、秋田県鹿角市に新規オープンのヤマダ電機の店長で赴任。

来週は引っ越しの嵐・・・。






わ〜眞吾さん、凄いね・・・湖梅ちゃんが。
やべっ・・出世されだじゃ〜・・・と満田颯が。



眞吾君は岩手県立盛岡工業高等学校卒業でした。
つまり・・・・。

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2011年9月17日(土) 09:39

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企業戦略と営業戦術

ブログは印刷出来ます。印刷物(本)に出来るんです。
この私の子育てブログ、マンボウの日々は、もう二冊に印刷されました。
こうして、日々のブログが印刷物になると、非常嬉しいアーカイブです。



この印刷物を作ったのは、娘達や・・・満田颯と湖梅ちゃんに渡す為
です。日々の日記が印刷物になる時代ですが、ブログサーバー屋さん
はこう言うビジネス・モデルを確りと掴めれば面白いですよね。

例えば、ブログのページに貴方のブログを印刷します見たいなボタン
があって、閉じ方、表紙の紙の質感、ページ立て、つまりDTPの一部
をユーザーが選んで見積もり出来る。
そしてブログの日付を選ぶと、数日後に本になって届きます。とか・・・。

欧米では、ブログや写真のアーカイブ・サーバー屋さんは印刷会社
とプリントHUB化していますが、日本は・・・・、そして特に東北は
・・・中でも北東北は・・・・無いのが現実です。

日本中のサーバー屋さんで、貴方のブログを簡単に印刷しますと、印
刷会社と組んでいる所は、ほんのわずかで、東北ではもちろんの事、
ございません〜!!。印刷会社がサーバーやっている所も、少ないです。

やっぱり、営業が足で回って歩く印刷の受注が一番かなっ。


1993年に盛岡からインターネットで香港の印刷会社にデータ転送して印刷物を
送ってもらいました。その時から、普通の印刷物も、そう言う時代でした。

経営戦略的が出来る印刷会社の経営者・・・・。

マルチメディアと言われた時代の、データの多様活用化・・・・。
「シームレスな連動」経営戦略と、営業戦術

企業の生き残りは、何処にあるのか、体力か、設備か、人か、頭脳か・・・。

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2011年3月2日(水) 08:55

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彼らの夢はどんな「事」だったのだろうか。

彼らの夢はどんな「事」だったのだろうか。

1999年に作成された米国GEメディカルの社内用動画像
http://www.youtube.com/user/kazuyoshi1717?gl=JP&hl=ja

横河GEメディカルの上席の方に、この頃にこんな話しを聞きました。正確性に欠けます。
飲みながらの席で聞いた話しだったかと思いますので、感覚を掴む為に読んで頂ければ幸いです。



数十年前、米国のGE(エジソンの創った会社)と横河電機との合弁企業、横河GEの
メディカル業界専門の企業、横河GEメディカル社。

基本は米国GEメディカル社のCTスキャナーやレントゲン機器等の輸入、販売、メンテナンス・サービス、等をする企業として設立したそうです。
新製品も、この時代です。ICチップ、電子技術の多大な発展期ですから、とにかく
新型・新製品の嵐のような時代だったそうです。
ある意味、今も・・・続いていると思いますが。しかし日本も電子立国日本です。(韓国に追い越されましたが)
GEメディカルのCT、MRIは高価で大学病院や、そのクラスの医療機関が買える。そのような
レベルの時代だった頃に、横河からの社員は、低価格で高性能で革新的なCTを自力開発しようと
本体の米国GEメディカルに対して極秘に進めていたそうです。
もちろん、米国GEメディカルのCTや医療機器技術を輸入し、売り、メンテナンスし、それでノウハウを掴んでです。

これは本来は契約違反になるような行為だったと聞きました。
しかし、日本の技術員は、日本の為に、高性能、低価格、メンテナンス性を高めたCTの研究開発をしたそうです。

そして、ある時、日本でGEの新型高性能CTスキャナーの、その年度の新製品発表の時に
米国GEメディカルのトップの方々だと思いますが、東京市川の横河GEメディカルの工場で自分達の研究開発した
CTを観て頂いたそうです。

通常であれば、激怒・・・又は、訴訟、又はとにかく大変な事態になるだろう・・と予測し・・
しかし、やはり発展の為にと、日本人の考えたCTを披露したそうです。

米国GEのエグゼクティブだと思いますが、痛く感動し、感銘して、商品ラインに加えたそうです。
それは米国でも売れに売れて、非常に技術的にも、商品的にも、大きく寄与したそうです。

確かに、コアとなっていた技術や創造力を、パクって、自分達の物にして、そこから発展させた。
何の為に?。もっと低価格で高性能な放射線機械を国内に広めたい。
その日本の技術陣の思いだったと、そんなような言い方を私は聞きました。

●感動しました。

昔し、ミロク経理と言う、会計事務所と税務会計ソフトの開発している企業のトップが、年初の挨拶で、こう言う事を言いました。


※王貞治の一本足打法を真似て、真似て、自分の物にすれば、それは自分の一本足打法となる。
真似て自分の物にするのにも、凄まじい努力がいる。
憧れであれ、希望であれ、夢を実現する。王のようになりたぃ。
そう言う夢が大事だ・・・。

みたいな事を会計事務所さんから私は20代前半に聞きました。

この時代には、多くの日本の高度成長な事が各業界でありました。
流通革命、ウォークマン等の家電革命、パソコン革命、印刷革命、その多くは
「夢」の実現であり、そのネタが
既に存在しようとも、発展させると言う意欲が根幹にあったように思います。

あ・・あれ売れてる。同じ物を安く作れば、俺達が売れる・・・では無く。


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2010年9月28日(火) 13:10

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1980年代にリコーの営業成績でトップになった事があった。

一応、私は営業マンも経験はしました。
営業の、どぶ板のリコーと言う会社の営業として。


岩手リコーと言うリコーの系列会社に転属(リコーから岩手リコーに)させて
もらった時は、技術から営業での配属となった。

一年目、最低の成績で恐らくリコーグループ全体で最下位だったと思います。
その翌年、これは岩手では無く、確か全国で一位だったと思います。
OA推進販売課と言うのがあった時代、パソコン部門でした。
東北管轄はリコーの仙台支店が行い、確かホテル紅葉だったか・・・思い
出せませんが、表彰式だったと・・・。



マイツールと言うパソコンの担当になった時の表彰でした。賞状での
東北一位とか、沢山もらいましたが、このような盾は初めてで、この後に
東京に集められて、全国の優秀セールス慰労会みたいな事もあったような。


懐かしい。
賞金で家内の指輪を買いました。結婚指輪です。
海外旅行か何かだったのを賞金に変えてもらって指輪に。


懐かしいサラリーマン時代で、リコーは本当に好きな会社でした。
本当は辞めたくなかったけど・・・。


さて、最下位で辞めろと言われた所から、どうやって売れるようになったか。
私は技術専門でしたから、口から出る言葉も専門知識が沢山出ました。
そして横柄な雰囲気、口ぶりを出していました。

パソコンの聡明期に近い時でしたから、ほとんどの人々が知識がありません。
時代も今とは全く違いました・・・・。それから当時からコンピュータ関係
は難しい、解らない、パソコンは小さく遊び物・・・と言うイメージも定着
していました。

これがビジネスに使える。給与計算、財務管理と言うオフコンであれば数千万
の仕組みが数百万(当時はこれでも安い)で買える。リースでと月々五万円程度。
こんな商品を売り込むには、解りやすい。と言うのがキーでした。
現代と違い、お客様のやりたい事を、フローチャートに落として、それを漫画
にして、イラスト入れて説明を続けました。
それから、オフィスには、縦横計算が本当に腐るほどある。今はエクセルでポンですが・・
そう言う手作業を簡単にしましょう。リコーのコピー機、fax、その他の販売網や代理店がサポートします。

そんなような、アフターを前面に出して行きました。
日々、コピー機のセールスと同行して、歩き回る訳です。このコピー機の担当
にお世話になって、やる気になってもらう。
ここが、キーでした。社内代理店ですね。

そしてたどり着いたのが・・。

0.....デモの約束の件数を上げる。

1.....一つの手作業をパソコンでゃって見せて、簡単だと思ってもらうデモをする。簡単なんだと感じてもらう。

2.....私でも出来る・・・。現代では信じられないかもしれませんが、1980年代はパソコン・ショップはマニアの世界です。
ギア車では無く、AT車両のようですよ・・・と触らせる。

※ここでした。お客様に触ってもらって、ああ〜簡単なのね・・と言う言葉を出させる。
これが、大きなキーポイントでした。

3....先進的な事を取り入れて、未来が開けて行く。色々な机の仕事をコンピュータで自分でやって行ける。
成長して行くぞと言う感じを抱いてもらう。

こう言う事をデモで上手く行くと、ほとんどが決定しました。

この為に、15分の掴みデモ、30分パターン、40分パターン、社長にわかってもらう約5分間の掴み、とか、20通り近いデモンストレーションのパターンを作りました。

何度も、何度も、インストラクターと練習会を重ねたり、討議したり。
こう言う事を繰り返して、勘を手に入れました。

そして、この勘所を掴んだ頃は、本当に成績が上がり、仕事も楽しく、休みも
会社に出て勉強しました。

つまり、心底楽しくなった訳です。

自分が楽しい、面白い、素晴らしいと思ってお客様に接するから、当然ですが・・・。
売れて行きました。

そんな若い時代の営業マンの経験は、今も確りと身体に染み込んで、理屈では無く、勘所として自分の財産になりました。

と思っています。

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2010年7月11日(日) 12:59

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1998年から2001年までの物語

2001年11月17日のIBC番組にて放送。

1997 年〜2000年の三年間の出来事です。12年前の事なので・・・あまりに古い事ですが、最近は君は何を過去にして来た方なのか・・・と良く、良く聞かれるので、アップして見ました。これを見てと言うのが早い。この会社を創業
する前は、もっと大きな会社の専務取締役を26歳からやっていた。

これは私が37歳の時にやった仕事の映像です。

現在は社名を改名し、冨士フィルム・メディカルの子会社として大活躍しています。

2005年の12月以降は私とは関わりは全くゼロとなっています。思い出の番組です。最近、本当に良く昔は何をしていたんですか?と聞かれるので、アップを再度しました。何しろコンピュータ関係者が高橋さん、コンピュータはね・・と煩いので・・。

昔話しをするのは、どうかと思ったが・・。


全部で25分なので三分割でしかアップデートできませんでした。
もしも、ご興味があれば、どうぞ・・・ご覧下さい。

私が六畳間の岩手県盛岡市の東松園県営アパートの一室で創業し。
白石食品の好意で工場内に事務所を借りて。
三陸のスーパーマーケットのマイヤさんが資金的に支えて。
オーナーとして、成長して行った会社です。30万円の手持ちでゼロから裸一貫でやった実例です。

私はM&A後はキッパリと引きましたので、その後詳細わからず・・・。

@です。
http://www.youtube.com/user/kazuyoshi1717?gl=JP&hl=ja#play/all/uploads-all/1/M6EwPL2SLLk

Aです。
http://www.youtube.com/user/kazuyoshi1717?gl=JP&hl=ja#play/all/uploads-all/0/Gh-VpzXaW6w
白石食品の三代目、雄一君が立って映っています。この方が白石パンを背負って行く方です。超優秀な技術者でした。彼は三代目としても、圧倒的に優秀。


Bです。
いやはや・・。
http://www.youtube.com/user/kazuyoshi1717#play/all/uploads-all/0/fKhkcPbuJGA



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2009年12月13日(日) 22:24

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岩手県で一戸建て棟数四年連続一位のシリウスさん。15周年記念。

岩手県で一戸建て棟数四年連続一位のシリウスさん。
15周年記念パーティーに呼んでいただいた。
盛岡グランド・ホテルの食事に田沢湖・冷麺、引き出物に当社の福おちょこ285個、そして285個のお土産
蜂蜜麺となって、私は説明の挨拶をしました。


この四人の役員で創業期を過ごした話しを聞きましたが、特に女性の取締役、この方の評価は凄まじい。
監査法人トーマツの谷藤先生が向かいだったのですが、監査法人からの宿題を期限前に出した管理担当役員
は、後にも先にも、このシリウスさんの女性取締役だったそうです。苦労したようです。こんな女性もいるもんだと。
正直、挨拶の言葉の内容、姿勢、ビジネスマン時代を思い出させられました。
感動した記念パーティーでした。本物は本物だなと。


大親友と言って良いかな。谷藤先生。

私も、もう一度、ビジネスマンに戻るかな。
最近は、そう思う日が多くなりました。

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2009年11月18日(水) 09:57

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今の仕事を創める動機 3



昔し、私がある学校の入学式に出た時、自分は借り物の服(貧乏人でしたから)、借り物の靴でしたが、中には、お爺さんが同じ学校を卒業しているのだ。父もこの服を着たんだ、僕で三代目なんだ・・・。そんな人達が何人もいた。歴史のある芸術関係の学校なので、よりその傾向のある人達がいたのだと思うが、何代にも渡って着れた服、何で??。羨ましい・・・この何と言うか、文化、家族、血族の証と言うか、私には到底、手に入らない文化力だった。正直、嫉妬して羨ましかった。

後に医療に関わって理解するようになったが、遺伝子なのだ。DNAなのだから、背格好も似る場合はあるし、何しろ体質と顔は隔世遺伝でも似る場合はある。肉体は遺伝子で作られてもいる。その話しを聞きながら、そこで、はっ!!!っと来た。天の声では無いが、ガツンと来た。ある大学病院で話していた時に、急激に思いついた。それが、このの話しをしていた時だった。
釣りをして時に、思いも寄らなく、ドンと餌を加えて、大物の魚が引っ張られたような、そんな衝撃。そして、おおう、ここに何かあるな・・と思った瞬間、握り締めていた。こぶしを。

そして急に、思い立った。私はコブシを握っていた、やった!何かあるぞ・・・と。しかし、その握ると言う瞬間を自分で自分を見て、この握る時の力、この型と力の入っている感覚、これを残すのはどうかな・・と思った。何かに残す・・・・何だろう。この力が入る勇気とか希望の瞬間を・・と。もうこの日から頭の中は、自分の手で握った、形と言う象と、力の入れ具合によって出る、瞬間の事の記録と記憶、これを何か、何かにならないかなあ・・・・ああ・・・・握ったら思い出す、あの瞬間になるような、そんな何か。

入学式の、あの日にを体験した父が、今・・息子が着ている姿を見て、昔しの自分を思い出した、目頭も身体も熱くなるような・・。自分用に特別オーダーした色あせたサーフボードを触った時に、レールを握った瞬間に、青い海の大会に出た、あの時が蘇るような、古い学生時代に買ったギターを抱えて、あの曲を弾いた瞬間のように、身体と言う物と、何かの時を思い出す事、この二つを極力リアルに感じる物は何か・・・と。

そうだった、大手電気メーカーさんの歩く音楽を聴くプレーヤーを開発した一人に言われた言葉「物と事で、物事と言う」、「物」だけでは駄目だ「事」も連動させて本当のブランドになるのだ。盛田さんが言った言葉も頭に浮かんだ。物だけ作って、それがどんなに良くても売れなければ駄目だ、いや売るのも発明なのだ、世界に売れる、売れる方法こそ、もっとも難しい発明なのだ・・と。

そして私は市場調査に入った。長い年月を掛けて、握ると言う事ももっとも多く、そして工夫の少ない、物は何か・・・・。当たり前と思われている形だけを有して、特に想像力を持って居ない物は何か・・・。

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2009年2月9日(月) 13:30

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会社の庭でビアガーデン出来るようにした。



季節が良くなった。この時期からは、遠方からのお客様が増える。表の芝生でビアガーデンを可能にしようと垣根を作った。

今 NHKの朝の連続ドラマ「どんど晴れ」でサーガは湧き上がっているのだが、役者としては、まさき、が下手だと言う話しになる。私も実に、そう思う。大好きな役者が沢山出ていて・・演技も良いのに、まさき・・・・っオメだげだ・・あんな演技は・・・何とかしろ・・といつも言っている。朝から・・。

しかし、そしてサーガ(よるはマンボウと呼ぶ)の垣根の木をマサキにしてしまった。

とほほほほ・・・・・・これが一番明るく可愛いからだ。どんど晴れの演技とは違い、こっちのマサキは、とてもイイ。

仕事の合間にお茶、昼食も晴れたら外でしようと言う事になった。我杯のサンディングにしても、ここでやろう。環境がイイ。

一本だけ植えたブナの木は樹齢50年物である。かなり高かった・・・が、これが100年、200年と経つとこの場所はきっと、イイ場所になる。林業の一部に携わったら、長いスパンで物事を考えれるようなった。

今までは、今月、四半期、年度・・・と必死だったが、木と仕事すると、長い、長い。鉄器にしても、時間のスパンが違う。ドッグイヤーなのだからだった。しかし暇が続くと寂しい・・・精神衛生上、悪い。仕事は人を育てる。

IT業界にいると、忙し過ぎて困る。携帯が鳴り響く。
今は鳴る事など、めったに無い。木のせせらぎ、風の音だけ聞こえる。

弾いているのは、グリーン・スリーブス

written by saga [仕事に関わる話し]
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2009年2月9日(月) 13:30

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東京の友人が相談に乗ってくれている。



家内の知り合いの旦那さん。
大手ITと言うか、パソコン、オフコン、家電、携帯・・何もかもやっている企業勤務。米国転勤を経て、日本に戻って、又、友好関係になって、今では良き理解者であり、我杯のテスター・ファーストの人。何が良いかと顔つきかな。ビールの前での。

http://nobu-kusakabe.at.webry.info/

小さい頃から使っているピアノの横に置いて使ってもらっている。
楽器の上に置いてもらうのが一番嬉しい。楽器・・・・・。
我杯も飲む語る、笑う、の楽器要素を持って欲しいアイテムである。



この我杯の原材料はテスト時代だけの材質となった、イタヤ楓である。
固さは半端では無かった。刃が直ぐに駄目になった。25個ほどあった
が身内だけで使った、超高価だった、幻の材料。
火事になっても焼け残ると思うぐらい固い。斧も折れると言われている
材質のようだ。年輪は150年以上だった。トラ目が出ている。

今使っている材料の倍では済まない材料だった。耐久テストになった材木
になってしまったが、仕上がりは凄まじい。落としても割れる気配も無い。

今、失敗作を紙やすりで修正しているのだが、全く削れない・・・。
最初に難題をクリアすると、後が楽だったんだと気づかされる事ばかり
である。

仕事も人生も何もかもそうかもしれない。最初に苦労を選べば後々は楽になるが、最初に楽な物事に出会うと、後から壁が来るとヘコタレルような感覚にな
る。何でもそうなのか、二つの分かれ道が出たら、やっぱり楽で無い方が、
良いのかな・・・と。

そんな風に思った頃の作品でした。
これが切っ掛けで、ギターも楓を大枚をはたいて買った。
不思議と音が楓は柔らかく暖かい。本当に世の中解らない言ばかりだ。

written by saga [仕事に関わる話し]
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2009年2月9日(月) 13:30

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マンボウまでの道のり